札幌 · 味噌
北の濃厚な味噌スープ。1960年代、冬に抗って生まれました。
文化 · 日本料理
ラーメンは日本の空から降ってきたのではありません。今日の熱い一杯の裏には、一世紀の旅があります。中国の麺、開かれた港、戦争、即席の一袋、そしてレシピを自分のものにした百の街。その糸をたどりましょう。
所要 11分

ラーメンは日本生まれではありません。中国の小麦の麺料理を源とし、19世紀末に「支那そば」として横浜へ。日本の料理人が出汁のスープと醤油で作り替え、戦後の屋台が国民食にしました。1958年に即席麺が登場し、味噌・豚骨・醤油とご当地の系譜が広がり、やがて世界へ——マルセイユのカウンターにまで。
起源
ラーメンを知るには、まず日本を離れます。その源は中国の小麦の麺料理、手で引く拉麺にあります。
鍵はかんすい。小麦に弾力と黄金色を与えるこのアルカリ水が、麺を海の向こうへ根づかせました。

転機
日本での物語は港から。1880年代、横浜の中華街は「支那そば」と呼ばれる麺のスープを出しました。
転機は東京。1910年頃、浅草の来々軒が中国のだしに日本の出汁と醤油を合わせ、今のラーメンが生まれます。
名前のこと
長らく「支那そば」「中華そば」と呼ばれました。「ラーメン」は中国語の拉麺に由来するとされます。
名を広めたのは産業でした。1958年の即席麺が、数年でこの言葉を各家庭へ届けます。
明治の港の屋台が使った最初の呼び名。
戦後に中立化した呼び方。今も広く使われます。
1958年の即席袋麺が、この名で覆い尽くしました。

飛躍
飛躍は災禍から。戦後の日本は飢え、占領軍が安価な小麦を市場に流しました。
駅の周りや闇市で、屋台が熱い麺を出します。ラーメンは復興の一杯となり、その地位を失いませんでした。
加速装置
1958年、日清の安藤百福が湯を注ぐだけの即席麺「チキンラーメン」を発明します。
1971年のカップヌードルが持ち運びを可能にし、世界へ。今や年間一千億食が食べられています。
安藤百福が即席麺を発明。湯を注ぐだけ。
使い捨ての器で持ち運び可能に、世界へ広がる。
世界で年間に食べられる即席麺の数。
モザイク
日本のラーメンは一つではなく数十。各地がその土地の産物と気候で育てました。
札幌は味噌、博多は豚骨、東京は来々軒以来の醤油。まさに出汁の地理です。

北の濃厚な味噌スープ。1960年代、冬に抗って生まれました。
白濁した豚骨、細いストレート麺、替え玉。
原点の一杯。鶏と出汁の澄んだスープを醤油で。
函館や喜多方の澄んだ塩スープ。最も古い系譜も。

丼を読む
この歴史は一杯に収まります。丼は借用の層を重ねた考古学のようです。
安定した骨格と自由な具。だからラーメンは自分を失わずに旅ができました。
丼底の濃縮した土台。醤油・味噌・塩が系統の名になります。
物語の核。日本の出汁と大陸の骨を何時間も。
中国直系の遺産。小麦とかんすいの歯切れ。
チャーシュー、味玉、メンマ、海苔、ねぎ。時代とともに。
格上げ
長く庶民の一杯だったラーメンは、20世紀後半に「文化」になりました。
博物館、映画、ミシュラン——三つの節目がその格上げを物語ります。
新横浜、1994年。ラーメンとご当地の味を展示する最初の館。
伊丹十三『タンポポ』(1985)。一杯を追う喜劇。
2015年、東京のラーメン屋が史上初のミシュランの星を獲得。

世界へ
2000年代以降、ラーメンは列島を離れます。日本の店も海外の料理人も、世界で作り直しました。
裏切りではありません。横浜での始まりを世界の規模で再演しているのです。そして今、それがマルセイユで起きています。
今ここで
マルセイユ・サント通り27番地の Iwao で、この長い歴史は熱い一杯に結実します。スープは自家製、東京の路地の提灯の下で。
一杯を味わうことは、この記事の道のりを逆にたどること。どの丼にも一世紀の歴史が宿ります。
FAQ

ステージクリア — 予約完了
ラーメンを理解する一番の近道は、目の前で盛られた熱い一杯を食べること。Iwao の席を予約して、この一世紀の歴史を味わいに来てください。
またはお電話で: +33 4 91 54 08 27